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風見鶏の寝言044

「新ファミリープラン」



マスコミで「若者の新聞離れ」が叫ばれ始めて久しい。

その現象の是々非々は触れないが、新聞の「代替=代わり」が務まる環境を考えてみたい



将来的に新聞というものがしっかり残るか、細々と残るか、消滅するかは、断言することはできないが、現代は公共機関・行政組織・各企業、更には各個人がそれぞれ多量の発信を行い、新聞テレビからニュースサイトやまとめサイトまでのこれまた多種多様な情報収集者たちが、それぞれの方針で編集して閲読者(情報受領者)に提供している。
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つまり、新聞は数ある情報収集者の1つと言えよう。

すると、新聞がなくてもその分、他の情報収集者が提供する情報を見聞きすれば補うことは可能な「はず」である

即ちそれは、受動的な受領者の立場から、積極的な収集者の立場に一歩近づくことでもある

しかし、頭では理解できても、毎日待ってれば届く新聞が来なくなったとき、いざ自分自身が他からその分の情報を補えるか、些か不安を覚えることは大いに有り得よう

では、どうするか。

家族でそれぞれが、気儘に情報収集をし、それぞれの得たニュースを伝え合うことはできないだろうか?

一家団欒の場での会話(コミュニケーション)促進と積極的な話題創出が可能になるかもしれない(笑)

※尚、情報収集に際して色々注意すべき事柄があるのは、このブログでも触れてきた点である
参照:
043話:「知らぬが仏?」こちら
028話:「アンケートという煽動」こちら



そうなったとき、上述の構図はこう変わったことになる
拡大画像はこちら
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ただ、それが結果的に、市民の中で、収集と受領を行う者と、受領のみ行う者の、分離を生じる可能性があるという点は、次の重要な社会現象となりそうである。


<追記>
筆者の家族では、1年半前から試しに新聞をやめたが、親子間の会話により今日に至るまで特段の情報不足に悩まされることなく生活できていることを付しておきたい
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