スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

風見鶏の寝言049

桃太郎の功罪」



あるところにお爺さんとお婆さんが暮らしていた。お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行く。
川でお婆さんが洗濯をしている最中、川の上流から大きな桃の実が流れてきた。
お婆さんが桃を家に持ち帰り、お爺さんと食べようと切ろうとすると、桃自ら2つに割れて、中から元気な男の子が生まれる。
2人はこの子を「桃太郎」と名付け、かしづく
成長した桃太郎は、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く。




懐かしき日本有数の童話の1つであるが、さて、桃太郎正義か?それとも略奪者か?

多くの方々が、人生1度は気にとめたことのある問いではないだろうか





桃太郎を巡っては、通常、立派なヒーロー的存在として語られるが、一方で、鬼側から見れば強盗雑人犯だという指摘も根強い

どっちの方が正しいのか?



まず、正義の主張から検討しよう

日本では小中高はもとより、大学に至っても、「正義」を正面から題材にするカリキュラムは存在しない

その意味では、一口に「正義」といってもその意味は人ごとに多種多様にずれかねない

ここでは、筆者と読者の間に生じうる認識のズレを回避するため、「正義」という言葉は使わないことにする

代わりに、勧善懲悪を前提とした「悪者成敗」としよう

つまり、桃太郎の場面では、「悪=鬼」、「善=桃太郎一行」、「善行=成敗」となる

ただし、「悪玉」に鬼を配役する以上、厳密には、桃太郎の登場前後を通して、鬼が村々を襲っては金品食糧を奪取し、村人を死傷させた様を語る前日譚が、少なくとも1エピソードは必要となろう

そこまで揃うとき、この「悪者成敗」の筋は、矛盾なく一貫した1つの説明となる

勧善懲悪は、全ての人に善行を積むことを勧めるから、成敗を思い立ったのが、誰であるかは全く関係ない

よって、桃太郎が単なる一私人であり、何の権力者でもないことは、差し支えとはならない

ただ、その類い稀な勇気、使命感等をより受け入れやすくするため、登場方法は出所不明・経緯不明の桃という謎設定になっている
(その程度の意味だからこそ、桃設定は、その後の何の伏線にもなっていないし、誕生経緯の言い伝えはいくつか分かれているのではないか、と思う)

さらにここでは、勧善懲悪の思想は、天罰的報いの発想や、因果応報の思想が、全体を正当化する下支えになっている感も受ける




次に、略奪者の検討をしよう

略奪者という主張者は、ほぼ100%、桃太郎の行為が「強盗殺人」だということを根拠に掲げる

なるほど、桃太郎の鬼成敗の描写が、「鬼を殺し、財宝、食糧を村に持ち帰った」という場合には、尤もな指摘となる

ただし、厳密には、そのような「強盗殺人」行為なる者を厳禁し、生命や各個の持ち物を保護する規律が存在する描写と、その規律が鬼にも等しく及ぶことを示す描写が、必要であろう

ここまで揃えば、略奪者としての筋も、一貫した1つの説明として成り立つ

規律(つまり、一種の法)では、原則として相手の普段の行いの如何は問わずに、禁止された行為に該当すれば処罰対象となる

したがって、こちらの場合には、鬼のふだんの暴虐非道な行いの描写は要らない



すると、「悪者成敗」の筋では、規律の存在は前提とされない

一方、「略奪者」の筋では、天罰や因果応報の発想は前提とされない

つまり、「悪者成敗」の筋は道徳教育を、「略奪者」の筋は規律(法)教育を、それぞれ担うのであり、両者は違う前提・違う次元に基づく、両立する説明なのであって、いずれも正しいと言えよう

どっちかしか採れないという二律背反の存在ではないのであろう

しかし、もし「略奪者」の教訓であるならば、話の結末は桃太郎の処罰と反省にならなければ、教訓として一貫しない

つまり、桃太郎の伝承は、結論の有り様を、採りうる2つの選択肢から、任意に賞賛の方を選択したことにより、道徳教育側としての道を選んだことになろう
(童話成立時期に関しては律令導入以前との説もあり、規律教育の思想がなかったとも考え得る)

ゆえに、「道徳教育」の側面を敢えて選択した桃太郎のストーリーを、略奪者賛美の思想だとする明治の某偉人以来の批判は、異なる次元からの議論を引っ張っており、反論になっていないことになろうか




このような混乱した批判が生じる所以は、桃太郎の上述のような2側面が峻別されずに議論に取り込まれ、因果応報的道徳思想と、規律的法思想が、混交したからかもしれない

この混交は、桃太郎が、たとえ最初から「規律教育」側の立場を選択していたとしても、同様に生じた可能性がある

桃太郎は、2つの教訓に対応できる「功」績と、2つであるが故に議論の混交を招来した「罪」責をも、併有しているのかもしれない


※なお、桃太郎の、神話伝承的側面からの考察に関しては、かの有名な柳田国男氏あたりをご参照下さい
関連記事
スポンサーサイト

トラックバック一覧

コメント一覧

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。