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風見鶏の寝言051

「骨より思い出?」




「若者の~離れ」というワードは、今幾種類存在しているだろうか?

数えたことはないが、かなりの数だろう(笑)

そして、多くは「若者の」話であるが、その中でも珍しい年功者たちが主体になる類似ワードとして「お墓離れ」というものが囁かれているのはご存知だろうか?

最近のお年寄りは、必ずしもお墓を買い求めなくなってきているらしい

なぜ、この10年の間に、突如このような傾向が生まれてきたのかは、今のところ定かではないと思われる

お年寄りの人口比率が増えたことや、圧倒的に寿命が長くなり90才超えもいまや珍しくなくなったことも、何かしらこの考え方の変化に寄与するところがあるのかもしれないが、その辺りは専門の研究結果を待つよりほかない

そして、当人たちがお墓を求めない理由も別に1つではない

○死後なんぞ別にどうでもいいという意見

○子供に費用を払わせるのは気の毒という意見

○子供が墓の面倒を見ることに抵抗を示すという意見

○子供が海外で働いているので、お墓の管理は大変であるという意見

○子供がいないので、買っても継いで貰う人がいないという意見



他にも個々の事情に応じて、様々な理由があるであろうが、例えばこれらの理由を検討するならば、最初と最後の意見は30年前でも変わらないものであるはずであるから、特に新たな「動き」の要因と考えられるのは、2~4番目の理由と思われる



ここまでにおいて、もし30年前に、お墓を持たない人の理由が、専ら上述の1番目と5番目だったのであるとすると、多くの人がお墓を持っていたという事実に照らせば、1番目の理由は稀で、多くの人はお墓を必需品と考え、やむを得ない5番目のような理由があるときに例外的にお墓を持たなかったという世相だったことになろう

ところが、現代、2~4番目の理由が登場したとき、お墓は「金銭的に余裕があれば」「子供が自発的に継ぐと言ってくれるなら」「子供が現実に管理できそうであれば」という条件附きで買うのも「いいかもしれないもの」という位置づけに変わってきているように思われる

つまり、あってもいいけどなくても困らないもの、所謂、嗜好品へとなりつつあるのではないか

複数人で1つのお墓を購入するシステム(墓とも)なるものも登場してきた背景には、自分とお墓との1対1の絶対的で緊密な結びつきが最早ない

あればよい、または、他にも買う人がいるなら欲しいという付和雷同的意識は、主体的な購入意欲とは異なっている

嗜好品となるならば、それはつまり「物体としてのお骨より、思い出としての人格」ということになろう

日本国の象徴である天皇ですら、葬儀は簡素にと表明したのは、このような国民の間での時代の流れと無関係ではないのかもしれない
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