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風見鶏の寝言060

「マジヤバイ後編」





前編はこちら

前話では、「ヤバイ」という単語が、2つの意義を有するのではないかという話を紹介した

では、この単語は、コミュニケーション力低下・語彙力低下をもたらす未曾有の問題と騒ぐほどのことなのか?


「ヤバイ」という単語は、程度の強調部分だけを取り出した単語だった

それゆえ、何の程度の話なのかは省略されることが多かった

このため一見、

A「このケーキ、ヤバイね」
B「うん、マジやばい」


という会話が相互に噛み合っているように見えても、その実は噛み合っていないという事態を引き起こすことが問題視されているのである

一方は「美味しさ」が抜群であることを意味し、他方は「装飾が半端無く綺麗」であることを意味していたりする。


しかし、

第1に、前後の文脈は会話がちゃんと噛み合うように補正する役割を果たすだろう

第2に、強調語だけが独立して使われるようになる事例は、平安時代の古文の頃からあるように思う

ご存知「いみじ」である

この単語も元来は程度が甚だしいことを指す副詞である

ただ、時代が下るにつれ、その単語のみで、「とてもよい」という意味も「とても酷い」という意味にもなった

似てるのではなかろうか。

第3に、文書に残される表現と日常会話の表現は異なる

現代において、日常会話・口語表現で「ヤバイ」という単語が多用されていることは周知の事実となっている

しかし、小説や論文等の中ではあまりお目にはかからず、もっと堅い表現が使われる。

つまり、後世に残る文書の表現は、しばしば日常会話で使われるものよりも堅いのではないだろうか。

そうだとすれば、平安時代も、書物にあるよりも、実際の日常会話の表現は崩れていたのではないか

つまり、現代まで伝えられている書物では文学的な体裁を保った形で「あないみじ」「あないみじの~や」等と記されているが、実際は「げに!げに、いみじ」(マジ、マジでヤバイ)とかやっぱり使われていたのではなかろうか(笑)

単なる憶測に過ぎないけれども、歴史と言語とファッションが繰り返す様を見ていると、ふとそう思えてくる。


もしこの憶測が当たっているならば、現代の「マジヤバイ」は未曾有の国語の危機だと騒ぐほどのこともないのかもしれない。

古文にこそ鍵はあんめれ。いざ、温故知新である。
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