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風見鶏の寝言063

モデル後編」




前話は、こちら

モデルとは、巨大な問題を分析する前提として想定する、小さな規模・単純化した問題を指していた。

そして、モデルによる巨大な問題の分析が正しく行われるためには、モデル自体の分析が完璧でなければならなかった。

それは数学の分野では、誰もが納得できることであった

では、この「モデル」が、数学以外の分野で使われるときも同じではないかという話である。




例えば、ある学問分野では「最後通牒」のモデル、「独裁者」のモデルという2つのモデルが登場する。

2人の人物、A、Bがいる。

「最後通帳」のモデルとは、このようなものである

Aに10万円を渡し、任意の金額を自分でとり、残りをBに渡す。

このとき、Bが異議を述べたならば、AもBも1円も取得できなくなる。


アメリカでの実験によれば、Aは平均5~6万を取得し、Bの取得分が4~5万になるらしい。


次に、「独裁者」のモデルとは、このようなものである

Aに10万円を渡し、任意の金額を自分でとり、残りをBに渡す。

このとき、Bには拒絶権がなく、渡されるものを受け取るだけとする。


同じく、実験によれば、Aは平均8万を取得し、Bの取得分が2万になるらしい。


さて、当該分野では、このモデルと実験結果を、次のように分析する。

即ち、

まず、最後通牒モデルのようにBに拒絶権があるときと、独裁者モデルのようにBに拒絶権がないときとでは、Aの取得額の差が約3万円生じた

これは、Aが、Bの拒絶によって自身も取得額が0になることを恐れた結果として、最後通牒モデルにおいては多めにBに分配したことが表れている。

次に、Aは独裁者モデルにおいても、10万円全てを取得せず、Bは2万ほどの取得があった

これは最早Bからの拒絶によって自身の取得が0になることを恐れたものではない。

したがって、別の動機があると見るべきである





このモデルの分析は「完璧」といえるか?

第1に、最後通牒モデルは、Bが不満を厳然と主張することができること、且つ、BがそうであるとAが思っていることを前提とする。

第2に、Bが拒絶権を行使するためには、いくらなら不満で、いくらなら不満でないかを自らはっきり判断できることを前提とする。

第3に、ABは両者とも、金銭に対する欲求が同じくらいあることを前提とする。

つまり、このような前提が分析の裏に暗黙に存在している。

すると、そのような3つの前提を満たす人間社会においては、分析は完璧たりうる

しかし、そのような3つの前提を必ずしも満たさない人間社会では、分析は不正確であるということになる。


ここで、全ての国がこの3つの前提を満たすといい切れるならば、この分析に基づき、延長・拡張・複雑化した理論は、どこの国であっても妥当するといいうる。

しかし、必ずしも全ての国でこの3つの前提を満たすかどうか曖昧ならば、この分析に基づき、延長・拡張・複雑化した理論は、自分の国で妥当するかどうか、根底から怪しいことになる。

そして、そもそも、まずこの3つの前提を満たす国はあるか?という点から検討する必要がある。


この分野では、延長・拡張・複雑化とは、以下のようなことを想定している。

分配対象は金銭以外にも拡大され、最初に渡される金額は数億単位に拡大され、金銭欲の大小に影響を及ぼす個人の所得や財産・生まれ育った環境は個人毎に異なる社会にまで拡張する。



さて、果たして3つを全て満たす社会は存在しているだろうか

もし1つもないならば、2つのモデルはいずれも不正確な分析になり果てる

すなわち、このモデルを巨大な対象へ適用した分析結果は「間違い」となる。

巨大な対象への適用とその分析結果が争われる前に、白黒つけるべき根っこがあるように思われる。
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