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風見鶏の寝言071

「行く末を決める3問」




知っての通り、日本には民放でも国営でもない公共放送局という存在がある。

公共放送がどういうものであるべきかは、必ずしも動かしがたく確立されているわけではない。

故に、受信料という仕組みを用いるか否か、さらに受信料の支払を求める範囲の定め方は、制度設計次第となる。

そして、日本の場合には、受信料の支払を要するとされ、支払を求める範囲は公共放送の受信が可能な機器を有する全ての者とされている。



設立されてからかれこれ半世紀続き、その間に公共放送を取り巻く環境はだいぶ変化したといえる。

当初、街路に皆が集まって視聴したテレビは、一家に一台またはそれ以上の保有が珍しくなくなったようである。

さらに、ネット環境や通信機器の進歩により、同じ情報へのアクセス手段が増えた

テレビが各家庭に普及する変化は、割と穏やかに通り過ぎた。

しかし、ネット環境や通信機器の登場による変化は、公共放送に対して3点の疑問を突きつけることとなった

近頃、人々の間では、公共放送に対する賛否が割れてきている。

現状の制度設計を維持するならば、公共放送としては、少なくとも市民が抱く次の3点の疑問を説得できる必要があるということになろう。

Q1 なぜ、受信料の支払を要するのか?



現在の説明は、スポンサーからのCM料金に頼る形態とは別の制度とすることで、放送内容が他の民放と似通ってきてしまうことを避けるため、とされている。

「別の制度」であればよい、ということは「CM収入」という形態以外ならば何でもよいはずである

この説明は、CM収入によらない理由(消極的理由)としてはある程度は説得的かもしれない
(厳密には、民放と放送内容が似たり寄ったりになっていないのかは、また見解が割れそうな箇所である)

ただ、受信料制度を選択する理由(積極的理由)として説得的か否かが問われているのだろう。

Q2 なぜ、積極的に視聴したいという者に受信料の支払の対象を限らないのか?



現在の説明は、災害時の緊急放送等を全国津々浦々まで隈無く送り届けるために、スクランブルをかけることが憚られるため、とされている。

だが、デジタル放送になっている今、災害時にテレビが映るならば、ネットに接続することも恐らく可能であろう

そのとき、携行可能な小型化された電子機器からネットを通じて災害情報・交通機関の運行情報・政府発表情報等を各個に収集することも可能となる

上の説明は、これらの代替的な情報収集手段が存在している現在でも猶ほ説得的か否か、が問われているのだろう。

Q3 なぜ料金は、視聴者の視聴したい番組相応分にしないのか?



積極的に視聴したい者でも、見たい番組と見たくない番組はあるだろう。

見たくないという理由は人それぞれありうる(趣味・思想主義・内容の偏向性・キャスターの好み等々)

見たい番組が少ない人の中には、選択的に視聴したい番組分のみの料金を支払う方を希望する者も出て来よう。

要らない番組分の料金もまとめて取る、謂わば事実上の抱き合わせ販売方式を採る理由は、明確にはされていないと思われる。



時代の変化に伴って市民が抱いた疑問は、国営でも民放でもない不安定な構造ゆえの宿命なのかもしれない。
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