「老人ホームの役割」 ver.1.1(追記1)
日本は、高齢者割合が増え、世界に先駆けて高齢社会、超高齢社会を迎えつつある
小中学校教育では、社会保障制度の先行きにつき、国民3人で1人の老人を支える世代と教えられる
メディアでは、孤独死の社会問題化が、たびたび報道されている
高齢化の問題は親族が全くないという者を除き、どの家庭でも非常に身近で、誰もが一度は真面目に考えることになる
ただ、今回は、家族があるご老人たちに限ったお話。
現在就業年齢にある40~50才台の人々の、親世代は、ちょうどいわゆる老後生活を始める
近時は、90才や100才という元気な老人方も珍しくなく、老後も30年近くある。
けれども、哀しいかな、全ての夫婦が揃って長生きできるとは限らない
また、揃って長生きできても、配偶者が他方の
介護を全うできるほどずっと元気とも限らない
このため、多くの家庭は、自分の親たちの自立生活に限界を感じる頃、選択を迫られることになる
Q:引き取って自ら見守るか(在宅介護)、専門の老人保養施設に世話を頼むか(老人ホーム)
日本の道徳教育に無意識に浸透している儒教的思想によれば、「親は敬わざるべからず」となる
つまり、「孝行」しなければならない
すると、老人ホームは道徳上は受け入れにくく、当然ながら自ら引きとり、在宅
介護をすることが望まれる
経済的にも、老人ホームの施設料金が節約になり、年金に余剰を見込める
日本政府も、数年前から、在宅
介護を推奨する方針に転換したようである
しかし、難題にも臨むこととなる
在宅
介護は、すなわち、全ての世話を自ら手がけることを意味する
現在、夫婦とも働く家庭の割合は増え続けている
厚生労働省の統計によれば、1980年には35.5%だったところ、2012年現在は57.0%にまで上昇している
※ソースは
こちら第一に、お世話といっても相当な重労働となる
仕事に行く前に、朝食の世話をし、昼食を作り置き、夕方過ぎまで働き、帰ってから夕飯・お風呂・身辺掃除等の世話をすることは相当な負担になる。
どれくらい大変かと言えば、労働基準法が、
介護をしている労働者につき、会社側に配慮する義務を課すほどである。
ノイローゼになり、あげく老人を殴ったり殺したりして刑事事件になったケースは最早珍しくない
これに加えて、近時、もう一つ指摘されている
第二に、お世話とは、積極的に何かをしてあげること以外に、
何かをしないよう傍で見守り続けることも含むつまり、消極的側面の介護もある。
老人たちが、勝手に外出して失踪してしまう件数が増え続けているらしい
外出中に、他人の物を壊したり、人とぶつかって怪我させたりすれば、事件になる。
さらに、道路や線路に迷い込み電車の人身事故を引き起こしてしまう悲惨な例も見受けられる。
電車事故の場合には、死を悼む間もなく、
3ヶ月を過ぎた頃、電車の遅延による数千万円以上の損害が家族に賠償請求されることになる
勝手に徘徊・失踪しないよう、家のドアや玄関に工夫を凝らすことはできるが、100%防げるとは限らないし、閉じ込めるようで快くないと思う人もいる
だが、働きながら、24時間見守り続けることは不可能だというのも介護者の意見である。
この問題を社会的課題と呼ぶことは簡単であるが、何かあった場合には結局法的な
責任は介護者が負わざるを得ない
この第二の問題に関して、老人ホームにいまいちど役割を見いだせるのではないか
老人ホームこそ、まさに24時間、傍で見守り続けるための施設である
そのための施設と職員であり、見守ることまで含めた包括的なお世話を委託することこそ預ける者の趣旨ではなかろうか
老人が勝手に外出することを黙認していれば、それは施設のミスと認識される
万が一、施設側のミスで自分の祖父母が失踪し、あるいは、事故に巻き込まれたときは、施設が厳しい
責任を負うことになるだろう
すると、施設とは何か?
特に何かしないよう見守るという点に関しては、まさに施設の存在意義そのものである
そして、仮に老人が何か問題を起こしたとしても、在宅介護だったならば家族が行う賠償を代わってくれる存在であることになる。
つまり、万一のときに
発生する賠償責任のいわば保険者となり、施設に月々支払う費用は、保険料となる。
全体として見直すと、老人ホームを利用するということは、若かりし頃、社会保険として国に払い年金として返還された資金を、今度は
管理責任を巡る事実上の保険として老人ホームに支払うことで、老後の安全を確保していることになる
老人ホームであることは、親に会いに行かないことを正当化するものではない。
それは老人ホームとは関係ない。それこそ、親子間のそれまでの絆の浅深の問題であろう
これからの超高齢社会で、今働いている世代は、柔軟な思考と判断を望まれているのだろう。