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風見鶏の寝言083

「社畜という比喩2」



゚・*:.。..。.:*・゜前回のあらすじ。. .。.:*・゜゚・*


「社畜」の典型例は、本心から逐一自己の行為が会社のためになるように考えて行動する者だった。

ところで、wikiで「社畜」をひくと、「自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した」とされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E7%95%9C

これは上の典型例のように自分の意思に忠実に行動する者とは異なる説明である。

そこで、wikiのいう「自分の意思と良心を放棄」した者も、社畜の典型例か否かが問題となる。


前回はこちら

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さて、社畜という言葉の定義を明示しているサイトはまだ少ない。

このため、定義を比較して共通する内容を抽出するという方法は困難である。

そこで、やや遠回りをして、まず「社畜」の元ネタである「家畜」の定義を見る。

家畜(かちく)とは、その生産物……を人が利用するために馴致・飼育している動物を指す。
……また鳥類のみを指した場合は家禽(かきん)と呼ぶ。
この他の用途として愛玩動物があり、いわゆるペットや鑑賞用の動物を含める場合もある。
……その見地からは、ハチやカイコなど一部の昆虫が定義の中に含まれている。……
ただし、「家畜」という言葉は一般的には、人間が利用する動物の中で、愛玩動物(金魚、セキセイインコなどのペット)を除く、動物が生み出す生産物を利用する事に特化した哺乳類や鳥類を指す(下線は筆者)。………


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%95%9C

上掲の通り、最も一般的な意味の「家畜」では、ペット類は該当しない。

つまり、第1に、「社畜」も何らかの生産物をもたらすことが必須の要件となるのであり、傍にいてくれさえすればよいという存在ではない。

その意味では、日頃から結果を出すことを求められるサラリーマンは生産物の産出を求められているといってよい。

これに対して、求められるものが、結果だけには集中しない職業は、この時点で「社畜」ではない。

単純作業や、事務処理・受付など、することの内容は明白で、そこにいることや応対をすること自体が求められるものは、生産物の産出に特化しているとは言えない。

そのような職業は、忙しくても「たいへんである」というだけの話で「社畜」とは区別される。


第2に、飼う者が存在することも「家畜」の当然の要件である。

つまり、「社畜」も、上からあれこれと指揮命令をする者が存在することが当然の要件となる。

したがって、自営業は原則として「社畜」ではない。


そして第3に、「家畜」は「馴致(じゅんち)」されることが必要である。

馴致とは、家畜として飼育を始める最初は反抗的であっても、次第に馴れていくことを指す

つまり、最初は言うことをきかなくてもよいが、いつまでたっても飼育者に反抗し、襲撃したり、脱走したりするものは、「家畜」ではない。

したがって、「社畜」も、入社当初は反発することがあってもよいが、会社に対する反抗心や敵意を持ち続ける者であってはならない

例えば、勤めて10年たっても、なお会社の思うところに、反旗を翻すような行動を起こし、または起こす意思を持つ者は「社畜」ではない。

それらの者は、会社による指揮命令に納得いかなければ毅然と反論し、よりよい労働条件を求めて動く。

現時点で、他によりよい選択肢がないから、その会社に止まるに過ぎないというパターンである。

すると、賃上げが実現しそうならば、労組で組合員を率いるかもしれないし、他に良い条件の職場があれば転職するかもしれない。

すなわち、積極的に行動し、または行動するための自分の意思を持ち続ける者は、「社畜」ではない



ここで、ようやく解決すべき問題にたどりつく。

すなわち、「自分の意思」を「放棄している」場合(=諦めてる場合)は「社畜」かという最初に掲げた点である。

つまり、内心では、会社の指揮命令に納得はしないけれども、反抗はせず、特に他の職業を探すこともしない場合である。

これは、本心から会社に尽くす典型的「社畜」と、反抗心を維持し続ける非「社畜」との、中間に位置する

「家畜」の場合、飼育者への馴れの度合は、「懐いている」か「懐いているとは言えない」かのどちらかになり、中間は存在しない。

これは、動物の頭の中で考えていることが、明確にはわからず、行動から判断せざるを得ないためである。

すると、下のようになる

「家畜」と言えるか言えないかは、「懐いているか否か」により判断される。

そして、「懐いているか否か」は、飼育者に反抗したり襲撃したり逃走したりするか、否か、によって判断される。

このため、反抗したり襲撃したり逃走したりしないのであれば、動物たちが頭の中でどう思っていようと「家畜」と認められることになる。


したがって、「家畜」の考え方を、「社畜」にもあてはめるならば、社畜がどう思っているかは問わないことになる。

現に入社後、次第に会社の指揮命令に逆らわなくなったのであれば、それは「社畜」と言えることになる。

つまり、「家畜」の定義に忠実に揃えようとするならば、冒頭の問題に対する答えは、自分の意思を放棄した者も社畜に含まれるという結論になる。

冒頭のwikiの「社畜」の定義は、全ての場合を説明しきってはいなかったものの、一部の場合を適切に定義していたことになる。

ただし、人間の場合には動物と異なって、内心でどう思っているか、が非常に重要であると考えるならば、話は違ってくる。

つまり、動物とは異なり、懐いているか否かの判断は、行動の他に内心の意思も考えるとすることも可能ということである。

そうすると、本心から会社に尽くす典型的「社畜」のみ、真の「社畜」と狭く定義することも可能である。

いずれ、「社畜」という言葉が国語辞典に登載されるときは、どっちの意味で定義がなされるだろうか。

この決着は辞典に登載されるときを、キリンのように待つしかない。



いずれにせよ、ここまで見たように「社畜」というのは、3つの要件を全て満たす者のみを指すことがわかる

つまり、会社で働く者全てを指す言葉ではない。

「会社に就職する者」=「社畜」のようにあまりにも広く捉える風潮は、やや語弊があるだろう。
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